イー・アクセスの千本倖生社長兼CEOインタビュー(日経コムより)(2004年3月)~島田雄貴

ADSLの次は無線ブロードバンド

――イー・アクセスは、ADSLに次ぐ新事業として、TDD(time division duplex:時分割複信)方式を使った無線ブロードバンドへの進出を明らかにした。

TDD(time division duplex:時分割複信)

私自身、モバイル環境でも高速データ通信を定額で利用したいと思っていたのが最大の理由だ。

大容量ファイルのダウンロード

これまでは私はずっと、外出先のどこからでも自由に高速なデータ伝送ができる環境がないことに不満を持っていた。自宅ではADSLを引いており、体が高速な環境に慣れてしまっている。大容量ファイルのダウンロードも一瞬だ。

出張ではDDIポケットの定額PHS

だが、ひとたび外出すると、そういった環境が手に入らない。出張に行く時はいつもDDIポケットの定額PHSサービスである「Air H"」のカードを持っていく。しかし現状の速度は、最大でも128kビット/秒。自宅で数メガビットの環境に慣れてしまった自分としては不満が出てきた。「家では速いけれど、外ではどうしたらいいの」とね。これではフラストレーションがたまってしまう。

最低「1メガ」のスループットが必要

私自身の体験では、モバイル・サービスでも最低「1メガ」のスループットが必要だ。自宅では何十メガの環境に慣れたADSLユーザーが、既に1000万を突破しているからだ。

これからはモバイル環境でも、メガのスループットが絶対に必要となる。まあ、実際は800kビット/秒くらいだったとしても、メガという水準が見えないと、今のユーザーは満足しないだろう。私がこれまでやってきたビジネスは、すべて自分が「こうだったらいいのに」という体験に基づいている。今回だってそうだ。

TD-SCDMA(MC)

――そのために採用したのは、当初予定していたTD-CDMA(time division-code division multiple access)ではなく、米ナビーニ・ネットワークスの通信方式「TD-SCDMA(MC)」だった。なぜか。

TD-CDMAは古い

TD-CDMAは、私からしてみればかなり前に開発されたシステム。TD-CDMA製品を使っても、W-CDMA(wideband-CDMA)による第3世代携帯電話のデータ伝送と明確な差異化ができず、勝てるチャンスは小さいと判断したからだ。

現在、TD-CDMA製品を製造しているのは米IPワイヤレスだけだが、これを製品化したのは4年も前。今は技術状況がかなり変わっている。

韓国や米国、香港など世界中の会社を見た

そこで、世界中にIPワイヤレス以外にも優れた技術を持つ会社はないか、しらみつぶしに探しまくった。韓国や米国、香港など世界中の会社を見た結果、10社程度が候補に浮上。そのすべての会社に、私自身が行って社長に会ってみた。会社の本社を訪ね、社長と直接会って話を聞き、どんなオフィスでどんなエンジニアがいるのか、徹底的に実地調査したわけ。

イー・アクセスは米ナビーニ・ネットワークスと提携

今回、イー・アクセスが技術提携した米ナビーニ・ネットワークスは、そこにひっかかった最良の企業ということだ。

IMT-2000に準拠していない

――だが米ナビーニの通信方式は、IMT-2000に準拠していない。

ローミングや相互接続には必要だが・・・

標準化は非常に大事な概念で、ローミングや相互接続には必要不可欠。だが標準化というのは、いわば妥協の産物でもある。だから仕様が出来上がった時には、既に古いものになっている。

標準化と新技術の導入のタイミングは、微妙なバランスの上に成り立っている。標準化にこだわりすぎると新技術の良さが生かせず、世界の先端から引き離されてしまうことにもなりかねない。

総務省は保守的

もっとも、これは国として考えるべきことかもしれない。総務省の現在の姿勢は、やや保守的過ぎるようにも思える。標準化にさえ従っていれば、他国からは遅れることはないかもしれない。だが固執すると国としての原動力やバイタリティといった重要な部分が失われる。その辺りはある程度、柔軟性を持ってもらいたい。例えば韓国などは、標準化を横目にどんどん先に進んでいる。先に進んだ方が、結局は自国に有利と考えているからだ。

無線LANは?

――イー・アクセスとしては、無線LANアクセス・サービスのような形態は考えなかったのか。

ビジネスモデルが作れない

検討したが、無線LANアクセス・サービスではきっちりとしたビジネスモデルを作れない。我々イー・アクセスは企業である以上、お金を稼がなければならない。世界中の無線LANアクセス・サービス事業者を調べたが、健全なビジネスモデルは作れないと判断した。

利用する側から見ても、無線LANアクセス・サービスの場合はサービスを提供しているエリアに足を運ばなければならないという致命的な問題がある。ユーザーが探す必要があるというのは大きなストレスになる。

DDIポケットの社長時代の経験

ユーザーにとっては場所を制限されずに、様々なところからネットワークに接続したいという要求があるはず。客先の会議室でプレゼンテーションする際に高速なデータ通信環境が必要だったり、時にはトイレでつなぎたいことさえあるだろう。そんなユーザーに、「事業者のエリアまで来て下さい」という発想は間違っている。これはDDIポケットの社長を務めた時代の経験からも言えることだ。

携帯電話事業者と直接競合

――では既存の携帯電話事業者と直接競合することになるのか。

VoIP(voice over IP)

それはない。携帯電話事業者の主力ビジネスである音声サービスは、我々が注力する領域ではないからだ。もちろんIMT-2000は音声を基本とした仕様だから、VoIP(voice over IP)などの形で音声サービスを提供することはあるかもしれない。

ソフトバンクBBの孫正義社長

だが当社は「ADSLの延長線上でモバイルをやりたい」のであって、今さら音声サービスを始めたいわけではない。NTTドコモやKDDIが得意とする音声サービスの分野でまともにぶつかる気は毛頭ない。ソフトバンクBBの孫正義社長は、どうやら携帯事業者と同じ領域を狙っているようだけど。

今後、携帯電話事業者がデータ通信に本気で乗り出して来れば、状況はまた変わるかもしれない。だが会社の体力からしても、今は音声サービスを提供するだけの資本はないのが実情だ。

黒字達成

――創業後約3年で約5億円の利益を確保し、黒字を達成した。

エリック・ガンら社員全員の頑張り

CFO(最高財務責任者)であるエリック・ガンをはじめとした社員全員が、良くがんばってくれたからだ。

これまでずっと、「ブロードバンド・サービス市場は成長余地が大きく、赤字続きの事業者もいずれは黒字になる」と言われてきた。だが、いまだに多くの企業が赤字状態。日本だけでなく世界を見回しても、まともに利益を出せる事業者はまずいない。

しかし企業なのだから、やはりキッチリと健全に利益を出さないのはおかしい。企業の原点は、まず利益をちゃんと確保すること。次に、無理をせず健全に成長していくことだ。この2つを実現するのは結構難しい。

株主は、米ゴールドマン・サックスや米モルガン・スタンレーなど

我々がしっかりと利益を確保しながら成長軌道に乗れるようになった要因の一つは、組織体制にある。

イー・アクセスに出資する株主は、米ゴールドマン・サックスや米モルガン・スタンレーなど、世界でも有数の投資会社。こうした会社は出資の際に徹底したトランスペアレンシー(経営の透明性)を要求する。しかも毎月だ。彼らの承認がなければ、私は自分自身の給料も決められないくらい厳しい。これは本当だ。

基地局の場所を細かく議論

そうした経営監視の下で、「これは本当に採算が取れるのか」という議論を、一つひとつの案件に対して慎重に実行してきた。ADSLで開局する基地局だって、一局ごとに設置するか否かを議論するほど。そうした積み重ねが、3年で黒字を出せる結果につながったのだと思う。

日本テレコムが、リップルウッド傘下に

――株主でもある日本テレコムが、米投資会社のリップルウッド傘下になった。日本テレコムとの関係はどうなる。

英ボーダフォンよりも近い

以前の日本テレコムの株主だった英ボーダフォンに比べれば、リップルウッドが目指す戦略と我々が進んでいこうとする方向はかなり近い。

リップルウッドが強調しているのは、ブロードバンドのデータ・サービスに力点を置くこと。企業だけでなく個人向けも含めてね。ということは、現在日本テレコムが展開している固定通信事業の大部分を、我々がやっているブロードバンド・データ・サービスに移してくる可能性もある。

日本テレコムがイー・アクセスを買収するという噂も

つまり、日本テレコムにとってみれば、イー・アクセスは最大の資産になったわけだ。『日本テレコムがイー・アクセスを買収する』、なんて噂が立つくらいにね。

株主比率は10数パーセント

ただ日本テレコムが株主といっても、その比率は10数パーセント。他の株主とほとんど変わらない。1社が突出した株主にならないように、バランスをとっている。

特別強い発言権はない

だから、日本テレコムやその親会社のリップルウッドに、特別強い発言権があるというわけではない。みんな平等だ。だからリップルと何かしようと思ったら、他の株主である米ゴールドマン・サックスや米カーライルに相談しなくてはならない仕組みになっている。ここも経営の妙だ。

外出先からでもメガで接続できなければだめ
高速モバイルはADSLの延長上にある

噂にたがわず、実にエネルギッシュな社長である。米ナビーニ社を選ぶまで、自ら世界中を飛び歩き交渉を続けた行動力にも目を見張らされる。「会社に行ったら、まずは相手の社長をじっくりと見る。そして互いに話し合う中で“本物”かどうか見極める。社長がだめな会社は、決して上手くいかない」という言葉が印象的だった。

千本 倖生(せんもと さちお)氏

1942年9月9日生まれ。奈良県出身。京都大学工学部電子工学科卒業。フロリダ大学大学院修士課程・博士課程修了(電気工学)。1966年日本電信電話公社入社。1984年第2電電株式会社(現KDDI)を創業。1994年同社副社長。1996年慶応義塾大学経営大学院教授を経て、1999年イー・アクセスを創業。代表取締役社長兼CEOに就任。趣味はハンディ17の腕を持つゴルフと、愛犬「グレース」との散歩。

【イー・アクセス】

設立:1999年11月
資本金:135億円
売上高:272億9000万円(2003年4月~12月期)
経常利益:11億4000万円(2003年4月~12月期)
事業概要:ブロードバンドIP通信サービスの提供